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2008年1月 9日 (水)

六花亭の象徴的なイラスト「北海道の山野の木と草」

北海道を代表する菓子メーカーの一つ【六花亭(六花亭製菓㈱)】(本店工場: 帯広市西24条北1丁目3−19)の各店舗で購入する際にラッピングしてもらう包装紙やお土産用手さげ袋、同菓子類のパッケージなどに描かれたお馴染みのイラストがこれ。
今回添付した画像はお土産用として支給される手さげ袋を写したもの。
これは北海道に自生する「山野の木と草」の花々。
このイラストの作者は坂本直行
“坂本”という苗字で直ぐにピンと来る方もいらっしゃると思うが、ご存知、土佐の高知土佐藩)出身の英雄、幕末の志士・坂本龍馬の子孫である。
龍馬の姉・千鶴の次男(龍馬の甥)で龍馬の長兄・坂本権平(坂本直方)の養子となり坂本家の家督を継いだ(坂本家嫡流の当主)坂本直寛(養子当初は坂本南海男)が祖父直寛の長女・坂本直意の婿養子となった熊本県出身の坂本弥太郎を父に持つ。
父・弥太郎は実業家として大きな成功を収める。
将来ある若者たちをこれ以上無益な戦乱に巻き込まないためにも、彼らと一緒に資源豊富な未開の原野・蝦夷地(北海道)に移住し、原野を開拓しながら北方警備にあたりつつ、いずれは、豊富な資源を利用した国際貿易により世界に通用する人材育成を夢見ていたという。たとえ一人になってもその開拓の夢を実現しようという強い決意を表明していたそうだ。
そして、1867年12月10日、龍馬はその志半ばにして暗殺された。
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その龍馬の遺志を継いだ甥の坂本直寛(明治17年に坂本南海男から改名)らクリスチャンの有志が地元・土佐(現・高知県)で設立した殖産興業の合資会社『北光社』にて募集した開拓移民団を率い、明治30年(1897年)4月に高知県の浦戸湾から北海道に向けて出発。日本海経由で約一ヶ月後網走港に上陸した後、北海道の北見地方にあるクンネップ原野(現・訓子府町)に入植。同地に直寛が中心となって広大な農地北光社農場を創立した。
自由民権運動(土佐派)の活動家で一時政府に投獄された経験を持ち、キリスト教の精神と叔父・竜馬の影響を強く受けた直寛は、新天地・北海道で自由と平等を標榜とした民主主義的国家を築こうとした。
明治33年(1900年)まで北見地方には『北光社』の高知県人が数多く入植し、3560ヘクタールの広大な北光社農場で主に栽培された(現在でも北見の特産品である)ハッカにより、北見市を含む北見地方の発展に大きく貢献した。
国際市場にも進出した北見網走のハッカは、最盛期の昭和14年頃には世界市場の約70パーセントを占める世界No.1作物だった。それにより投機的作物としてハッカの価値が高騰、一財産を築いたハッカ成金が現れたほど。
後に安い海外ハッカや合成ハッカに押されて衰退したが、龍馬の「北海道の豊富な資源を利用した世界貿易による人材育成」の夢は甥の直寛らによって一応実現したといえる。
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ちなみに、祖父・直寛の実兄(母・千鶴の長男)で、叔父・龍馬が結成した海援隊士でもある高松太郎は、明治維新直後には函館裁判所の判事となり、龍馬の遺跡養子となり坂本直と名乗った後は、朝廷の要職を歴任したが、のちキリスト教徒という理由で失脚。1898年に死去
直の死後、長男の坂本直衛は大叔父(叔父)・龍馬の遺志を継ぎ、空知管内(空知支庁)浦臼町に移住した。
浦臼町は、1893年に同じ高知県人の武市安哉らが入植し、『聖園農場』を創立した地域で、かつては直衛の叔父・直寛も北見開拓の協力を求めて1996年に訪れた地でもある。
その直寛は、北見から離れた後はその『聖園農場』に移住し経営を継承、晩年は牧師として道内各地でキリスト教の布教に勤めた後、1911年に札幌で死去。
また直寛は一時、晩年を迎えた兄・坂本直や龍馬の姉・坂本乙女とも一緒に暮らしていた。
現在でも彼らの子孫は北海道で暮らしている。
叔父で義理の父でもある坂本龍馬の北海道開拓の夢を実現した坂本直寛の孫で、坂本家8代目当主の坂本直行は、明治39年(1906年)に釧路市で生まれる。
1914年に札幌へ移住、この頃から絵画に目覚め、特に自然の風景を好んで描いていたという。また山を登るのも好きで、1924年には北海道大学農学部を入学した後は北大山岳部を設立。
1927年には東京の園芸会社に見習いとして入社、1929には札幌で温室園芸経営を目指すが計画は頓挫。
一時は父・弥太郎と事あるごとに対立、それがきっかけで北大の同級生・野崎健之助氏の誘いで十勝・広尾郡広尾村(現・広尾町)で働くことを契機に独立し、1936年にはこの広尾の土地を取得し、開墾に着手。開拓農民となる。また同年に父の反対を押して、石崎ツルと結婚。
しかし、終戦直前には父と和解し、同居もしている。
だが、約30年に及ぶ農業・酪農業の生活は苦しく、決して楽ではなかったが、大好きな十勝の大自然をこつこつと描き続けることで、ある一定の満足感が得られたのだろう。
1957年には趣味だった絵の才能が認められ、最初は札幌、そして数年後には東京で個展を開き、いずれも成功を収める。
1959年には帯広千秋庵(現・六花亭製菓㈱)の社長・小田豊四郎と知り合い、六花亭が発行する児童雑誌『サイロ』の表紙絵やカット絵を描くようになる。
小田氏は六花亭の創業者で、ホワイトチョコレートを日本で本格的に製造・販売した日本菓子業界のパイオニアとして知られる。
その後、今回の冒頭部分で触れたように、六花亭の菓子包装紙などに直行の絵『北海道の山野の木と草』が採用されることとなった。
画家の才能が世間でも広く認められた彼はついに離農を決意、かつて幼少期で過ごした札幌市内の手稲山周辺へ移住し、山岳画家として生きることになった。
道内外に限らず個展を開き、海外へもスケッチへ出かけるなど精力的な活動をする。1981年には北海道文化賞を受賞。
晩年に「我が人生に悔いなし」と言い切った、北海道を愛し、信念に生きた人、坂本直行は、
1982年にすい臓がんで75歳の波乱に満ちた生涯を終えた。
1960年ごろに【六花亭】の包装紙等に採用された、この坂本直行作『北海道に自生している草木の花々』は、「はまなす」、「えぞりゅうきんか」、「かたくり」、「なわしろいちご」などのイラスト共に、彼直筆の名称書きも見られる。
パステル(クレヨン)を使用したこのパステル画は素朴なタッチだが、北海道の山々の野草や木々に対しての愛着や畏怖、そして温かみが直に伝わってくる。
そして、暫らく見ていると、彼に対して親しみが沸々と湧いてくるのだ。
これら野生の花々は派手さがあまりないが、それもまた良し。
世間一般に広く浸透したこの馴染み深い、【六花亭】の象徴的ともいえるこのイラストは、山岳画家・坂本直行の最高傑作といえるだろう。
北海道・十勝の大自然への思慕だけでなく、彼の人となりを十分にうかがう事が出来る作品である。
普段、武骨で剛直な彼はあえて目立とうとはしなかったそうだが、絵画を通して、信念を貫こうとする強い意志や自己主張を表明しているように思える
そんな彼を、友人やファンは親しみをこめて「直行(ちょっこう)さん」と呼んだ。
以前当ブログでも紹介した、北海道土産として大人気の『ストロベリーチョコ』の紙容器にも、同じイラストが描かれている。
【六花亭】『ストロベリーチョコ』はいつ食べても美味しいですな☆
外側のチョコレートの風味だけでなく、あの歯ごたえあって甘酸っぱい乾燥イチゴが口の中でジュワッと溶ける感覚がまたイイんだよねぇ~。。。
ちなみに、十勝管内中札内村には【六花亭】が運営している 【六花の森 坂本直行記念館】があり、彼の足跡を直に触れることが出来る。
一昨年には同館で「坂本直行生誕100周年記念展」が催されていた。
彼の生涯で先祖の故郷・高知県には一度も行ったことがなかったが、彼の死後25年が経過した生誕100周年の年(2006年)に“初の里帰り”が実現するとはなんとも奇遇である。

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受信: 2008年1月10日 (木) 08時22分

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