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2008年1月18日 (金)

真冬の北海道神宮の散策 篇 ⑨

まず、その先に見えたのは北海道神宮の末社である『穂多木神社(ほたぎじんじゃ)』
『穂多木神社』は、今は無き【北海道拓殖銀行(拓銀)】に永続勤務し功労のあった物故役職員(亡くなった役職員)の御霊を祀る為に、1938年(昭和13年)5月1日に同銀行本店社屋上に建立されたのが始まり。
1950年に【拓銀】が普通銀行に転換した際に、当地(同神宮の境内)に御遷座(移築)されて現在に至る。
【北海道拓殖銀行(拓銀)】は、1899年に制定された北海道拓殖銀行法(拓銀法)に伴い、1900年に開拓事業に資本を支給する特殊銀行(政府系銀行)として設立。
北海道経済の発展と1950年(昭和25年)に拓銀法が廃止されたのを機に普通銀行に移行し、1955年には都市銀行へと転換。
本店を札幌に置き、明治の開拓期から平成のバブル経済期までの長い間、【拓銀】は北海道経済界をリードし、絶大な影響力を及ぼしてきた地域密着型の都市銀行だったが、バブル崩壊のあおりをモロに受け、バブル期のリゾート開発失敗のツケも重なって不良債権が急増し、徐々に経営を圧迫。
頼みの綱だった北海道銀行との合併構想も破談となり、資金調達も困難を極め、1997年11月ついに経営破たん。
その後の受け皿として、道内分は北洋銀行、道外分は中央信託銀行(現・中央三井信託銀行)へ事業を譲渡した。
1999年に法人解散。2006年清算終了。これにて1世紀以上の歴史に幕を閉じた。
それは、大手銀行である都市銀行としては唯一の出来事だった。
*
現在では、北海道の開拓事業・経済界を牽引し、北海道の歴史を作ってきた【拓銀】の役職員による過去の栄光・功績を偲ばせる施設にとどまっている。
かつて道内では拓銀マンはエリートの象徴だった。就職すれば高待遇で、その官僚主義的な組織の性格から、一生安泰と言われた時もあったが、今はいずこ。。。
ちなみに「穂多木(ほたぎ)」とは北海道拓殖銀行の頭文字に由来する。
*
拓銀破綻から10年以上経過した現在でも、北海道経済は未だにその余波を引きずり、景気低迷を続けている。まぁ、景気低迷については日本経済全体にいえることだが。
しかし、今年は世界中が注目する『北海道洞爺湖サミット』が開かれる年。
「景気」とは、「気」という字のごとく、良くなるかどうかは人の「気持ち」次第。 
その世界的一大イベント開催を契機に反転攻勢し、ドドドーンとアゲアゲムードで突き進みたいところである。
ご覧の通り、『鳥居』をくぐると、2基の『灯篭』と『狛犬』、そして拓銀職員の御霊を祭神として祀られている『拝殿』が見える。
流石に、建てられてから50年以上も経過しているので老朽化が目立つ。
かつてこの『穂多木神社』は、毎年6月15日には例祭が【拓銀】関係者や遺族の参列の下行なわれ、3年おきに【拓銀】の物故役職員を合祀していたそうだが、【拓銀】が消滅した現在では、一体誰がこの神社を維持管理をしているのだろうか?…ちょっと気になるところではある。
ちなみに、白い恋人』の【石屋製菓】の新社長に就任した島田俊平氏は元拓銀マン
かつての【拓銀】に続いて石屋製菓の信頼回復と経営再建に乗り出したのは何とも皮肉であるが、拓銀破綻の教訓を学んだ彼だからこそ、【石屋製菓を窮地から救い、再建事業を成功させると思う。現に、白い恋人が販売再開後に品切れ状態が続いているのは、彼の確かな手腕によるものだろう。
続いては、北海道開拓の先駆をなした鉱業に従事し、その発展に貢献してきた多くの殉職者の御霊を祭神として祀られている『札幌鑛(鉱)霊社』
「殉職者の御霊に真心を捧げ、その功績を敬仰し、祭祀を営むため」に当時の札幌鉱山監督局長・久保喜六の提唱により『鑛(鉱)霊社』が建立され、1949年(昭和24年)に北海道神宮の末社として当地(同神宮の境内)に遷座(移築)されると『札幌鑛(鉱)霊社』と改名、現在に至る。
1943年(昭和18年)6月25日には鎮座祭及び第一回の合祀祭が盛大に行なわれた。
毎年6月25日には例祭が行なわれ、同時に新たな殉職者の合祀も併せて行なわれているという。
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石炭産業をはじめとした鉱山業は、明治の開拓期から戦後の高度経済成長期に至るまで国の基幹産業の一つであり、
これまでの北海道の歴史には鉱業無くして語れない存在である。
石炭はかつて「黒いダイヤ」と称されるほど、経済発展・産業革命の原動力として最も重要なエネルギー資源だった。
しかし、1950年代から始まった石油へのエネルギー転換期を迎えてから石炭の需要が減少し、更に安い海外産の石炭に押されて、採算の取れなくなった国内の炭鉱が次々と閉山。それは炭鉱が多い北海道でも例外ではなかった。
昨年、財政再建団体入りした夕張市も、かつては炭鉱町として栄えたが炭鉱の閉山によって観光業へ転換を図った経緯がある。
そして、国内最後の炭鉱となった釧路【太平洋炭礦】もついに2002年閉山。
しかし、この『札幌鑛(鉱)霊社』は現在でもなお【太平洋炭礦】の採炭事業を引き継いだ【釧路コールマイン】僅かに採掘が続けられている道内の鉱山の安全操業を祈願する存在となっている。
ご覧の通り、割とこじんまりとした簡素な作りの神社。
これも建立されてから約60年以上も経過しているので、特に『拝殿』は老朽化が目立っている。
すでに鉱山業が国策ではない現在、管理しているのは一体誰なのだろうか?

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コメント

同じ北海道で不祥事を起こした企業でも、石屋産業は率直に謝罪し膿を出し切るために自社に不利な情報でもきちんと公開し、その為にかえって消費者の支持を得た(かつて石油ファンヒータ問題で見せた(旧)松下電器の対応と似たようなもの)のに対して、ミートホープ社は逆ギレと逃げ対応に終始した結果企業そのものが消滅しました。
石屋産業には初心を忘れずに頑張って欲しいですね。

昔の様にきちんと石炭を採掘してエネルギー資源も出来るだけ自国でまかなうようにすれば(因みに石炭を精製して石油を作ることはコスト面やガソリンのオクタン価は別にして可能で、ナチス=ドイツでは「人造石油」として実用化されていました。但し、ガソリンのオクタン価はあまり高くなく、この為低オクタンでも使用可能なジェットエンジンの開発を行なったのですが)、今みたいに原油高で右往左往する事もないのですが・・・。

投稿: たぬっち(ラグオン) | 2008年1月25日 (金) 22時33分

お返事遅れましたが…どもども、たぬっちさん。いつもありがとう御座います!!!

石屋製菓は経営陣を一新し、公の場で出来る限りの誠意と情報公開を示した結果、見事に信頼を回復し、立ち直りましたが、むしろこれからが課題ですね。
何より、二度と失敗は許されませんから。これまで以上に厳しい道のりだと思います。
仰るとおり、一道民として、初心を忘れて欲しくないです。

同じように偽装事件を引き起こした『船場吉兆』にしろ、『赤福』にしろ、日本製紙など多くの製紙会社にしろ、今後は隠蔽体質を改善し、きちんと消費者と向き合わなければ、信頼を回復するのは困難だと思いますよね。


石炭の液化は、仰るように終戦直前には既に技術的に可能だったそうですが、やはりコストがかなり掛かり採算が取れないので敬遠されてきたようです。
しかし今後、益々原油高になり、中東情勢が悪化すると、かつて夢物語だった「(石炭から作る)人造石油」も貴重なエネルギー資源として現実味を帯びてきますよね。但し、コストが余りかからず、かつ安全性が高い露天掘りが出来る地域に限られるようです。しかし、日本の炭鉱の大部分は、ガス爆発の危険性と隣りあわせで、コストが掛かる深層の坑道掘りであるので、一度閉山した炭鉱の復活は難しいかもしれませんが…前述の国内唯一の炭鉱『釧路コールマイン』が最近の原油高で採算が十分に取れるようになったのは何よりの朗報。
あと、北海道の一部地域(三笠市など)で細々と石炭の露天掘りが行なわれているそうで、それらの数社も電力会社に納入することにより採算が取れているらしいです。

今こそ、埋蔵量が多く安定供給の出来る石炭を見直すべきですね☆

投稿: とうきび | 2008年1月28日 (月) 20時07分

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