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2008年1月19日 (土)

真冬の北海道神宮の散策 篇 ⑩

そして、3つ目の北海道神宮末社である『開拓神社』
末社にしては敷地面積が広く、鳥居から『拝殿』まで結構距離がある。
「開道(開基)70周年に当たり、北海道開拓に偉大な功績のあった物故(亡くなった)開拓功労者の御霊をお祀りし、永久に尊栄申し上げたい」という当時の北海道長官・石黒英彦の提唱によって、1938年(昭和13年)8月15日に当地(同神宮の境内)に北海道神宮末社として鎮座されたもの。
その後、1988年(昭和63年)に鎮座50周年を記念して「拝殿」が建立された。
−祭神として祀られている北海道開拓の功労者 三十七柱(37名)−

吾妻謙命
伊能忠敬命
井上長秋命
岩村通俊命

岡本監輔命
黒田清隆命
小林重吉命
近藤重蔵命

佐藤信景命
佐野孫右衛門命

島義勇命
清水谷公考命

下国安芸命
鈴鹿甚右衛門命
栖原角兵衛命

高田屋嘉兵衛命

武田信広命
田崎東命
伊達邦直命
伊達邦成命

田村顕允命
続豊治命
中川五郎治命
永山武四郎命

鍋島直正命
早川弥五左衛門命
東久世通禧命
本多利明命

松浦武四郎命
松川弁之助命
松田伝十郎命

松前慶広命

松前徳広命
間宮林蔵命
村山伝兵衛命
最上徳内命

依田勉三命



ご覧のように、祀られている三十七柱の中には、「開拓の父」で「判官さま」の島義勇、日本列島を隅から隅まで回って測量し「大日本沿海輿地全図」を完成させた伊能忠敬、蝦夷地や樺太を探検し間宮海峡を発見した間宮林蔵、北海道開拓使長官で第2代内閣総理大臣の黒田清隆蝦夷地を探索し北海道という名称を提案した松浦武四郎も含まれる。

尚、1869年(明治2年)に蝦夷地(えぞち)を北海道と改称した8月15日に毎年例祭が行なわれる。それは、厳しい自然環境の下、北海道開拓に心血を注がれた先人の功績を讃え、後世に伝える為。

後に北海道が発展し、現在我々が安住の地として暮らせるのは、彼らの功績・尽力無くしては考えられない。

今回ここの神社を訪れ、改めて先人達に感謝の意を表した。



今思えば、話のネタとしておみくじを引けば良かったかな?(笑)





『拝殿』は周囲より高いところに位置している。

それにしても豪奢なつくりだ。

私は10円(←ドケチ!)を入れて、祈りを捧げた。


尚、この神社の向かいには『開拓神社社務所』があり、同神社の運営管理を行なっている。


この方は10分近くも祈りを捧げていた。

同神社に祀られている37名の子孫なのだろうか?

この後の消息が気になる人であった。。。。

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